再婚相手と考えていたマリーな名前が記されていたことが知られている

0

     本作の原題は『私自身、肖像=風景』であり、画家は風景(背景)と肖像を一体とすることで、それまでに類のない(画家独特の)独創的な自画像の世界観を表現し、新たなる絵画的展開を開拓した。

     

     さらに本作の中で画家が手にするパレットにはクレマンス(本作が制作される二年前に亡くなった妻)、ジョゼフィーヌ(クレマンスの死から9年後に再婚した二番目の妻)と二人の妻の名前が記されており、ジョゼフィーヌ部分は後の書き加えられたものであるが、かつてはクレマンス亡き後、再婚相手と考えていたマリーな名前が記されていたことが知られている。

     

     また襟元の教育功労勲章も1901年、芸術愛好学校(エコール・ド・ラソシアシオン・フィロテクニック)の教師に任命された際に書き加えられたものである。さらに本作の左上部分に描かれる上空の太陽の表現に、歌川広重による版画集『江戸名所図絵』の影響が指摘されている。


    アメリカが公開したCIA文書に「ヒトラーは生きている」報告

    0

       10月26日、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関わる機密文書が公開され、そのなかに驚くべき文書があることがわかった。

       

      「アドルフ・ヒトラーが1954年にコロンビアで生きていた」という情報がCIAにもたらされたというのだ。報告したのはコードネーム「CIMELODY3号」。彼が信頼する情報源が、元ナチス親衛隊のフィリップ・シトロエン氏から「ヒトラーは生きている」という手紙を受け取ったという。

       

       報告書にはヒトラーとされる人物の写真まで添えられている。写真には2人の人物が写っており、左側が元ナチス親衛隊のシトロエン氏。

       

       シトロエン氏は、右側に写る横分けでちょび髭姿の人物こそ紛れもなくヒトラーだと主張したという。写真の裏には「アドルフ・シュリテルメイヤー 1954年 コロンビアのトゥンハにて」とメモされている。

       

       そして、ヒトラーは1955年1月にアルゼンチンに旅立ったという。

       

       容易には信用できないが、諜報部員によってこのような報告がなされたことは紛れもない事実なのだ。

       

       ヒトラーは、1945年4月30日にベルリンの防空壕の中で自殺したとされる。遺体はロシア軍が回収しており、ヒトラーを担当していた歯科助手が顎の骨を見て本人と認めたという。だが、ヒトラーの遺骨の信憑性に関しては、よくわからない部分が多い。

       

       2000年4月、ロシア政府はモスクワで行われた『第二次世界大戦展覧会』にて、初めてヒトラーの遺骨を公開しているが、米コネチカット大学の分析の結果、この骨が女性のものと判明したと2009年にAFP通信が報じている。

       

       一方、同じ2009年には、CNNが「1970年に『ヒトラーの遺骨を川に捨てろ』という命令が出た」との、元KGB将校ベイズリー・クリトロホフ氏の証言を紹介。展示された遺骨が別人のものだった可能性を示唆している。

       

       ちなみにクリトロホフ氏は、「ロシアに保管された文書からもヒトラーが自殺した事実は間違いない」と発言している。今回、公開されたアメリカの機密文書が、ヒトラー生存説の裏付けになることはなさそうだ。 


      新居の床を削る労働者階級の男

      0

         新居の床を削る労働者階級の男。1876年に開催された第二回印象派展に出品された作品の中で最も重要な作品のひとつとなった本作に描かれるのは、新居の床を削るために鉋をかける三人の下層階級の労働者の姿である。

         男らによって削られる邸宅の床。極端とも言える程の遠近法による場面展開や自然主義的な現代性、幾何学的な画面構成など、本作には独自の表現様式が随所に示されており、今日では画家の最も有名な作品のひとつとして広く知られている。

         画面下部に記される画家のサインと年記。クロード・モネやルノワール(両者は労働者階級出身)とは異なるブルジョワ(富裕者)階級ならではの労働者に対する新鮮な視点によって描かれる場面表現は、第二回印象派展出品時、観者に衝撃を与えたと伝えられている。


        << | 2/40PAGES | >>